カウラ事件 - Wikipedia
1944年6月3日、カウラに来て間もない 朝鮮人日本兵 捕虜の松本タケオより、捕虜が脱走を企てているとの密告があった。これを重く見たシドニー地区司令部は6月19日、ヴィッカース機関銃2丁を追加配備、更にカウラの収容人数が大幅に定員オーバーした事もあり、 将校 ・ 下士官 を除く兵士700名を、400km西に位置する ヘイ (Hay, ニューサウスウェールズ州)の第8捕虜収容所に移すことを計画 [35] [36] 。通達はジュネーヴ条約第26条の規定に基づいて移送の前日に行うよう指示されたが、Bキャンプ司令官のラムゼー少佐は3日早い 8月4日 午後2時ごろ、捕虜の中心格であった金沢、小島、豊島の...
ja.wikipedia.org