ご由緒 |玉造稲荷神社
top of page 玉造稲荷神社について ご由緒 ご由緒 浪華名所獨案内 大阪玉造繁 栄之図(天保期) 当神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に創祀され、古代には社域が難波玉作部の居住域となった事から「玉造」地名発祥の地となった。用明天皇2年(587)に改築し、聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋と争った際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生ぜしめよ」と戦勝を祈願すると箸から枝葉が生じ、無事物部氏との争いも勝利した事で、太子自ら十一面観音像や多聞不動像を作り、観音堂を当地に建立した。 その後、天正4年(1576)の兵乱により本・末社、旧記等焼失したが、豊臣...
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