日本国との平和条約 - Wikipedia
内閣総理大臣 吉田茂 は単独講和を主張していたが、これに対して 1946年 3月に 貴族院議員 となっていた 南原繁 ( 東京帝国大学 教授)がソビエト連邦などを含む全面講和論を掲げ、論争となった。また 日本共産党 、 労働者農民党 らは 全面講和愛国運動協議会 を結成、 社会党 も全面講和の立場をとった。南原は1949年12月にはアメリカの ワシントンD.C. での米占領地教育会議でも国際社会が自由主義陣営と共産主義陣営に二分していることから将来の戦争の可能性に言及しながら、日本は「厳正なる中立」を保つべきとする全面講和論を主張した [11] 。1950年4月15日には南原繁、 出隆 、 末...
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