梅津神楽|川根本町公式ホームページ
 室町時代の応仁元年(1467)、京都は足利将軍家の相続争いから内乱が生じ、文明9年(1477)までの11年の間、東軍と西軍に分かれて、いわゆる応仁の乱の戦乱に明け暮れました。 このころ、京都梅津(右京区)の里に住んでいた筑地氏は、一族を率いて都を落ち、信州飯田を経て深山に分け入り、この地にいたって村を開いたといわれます。(文化9年桑原藤泰著「はまつづら」より) 村を開いた筑地氏は、京の梅津にちなんで梅津と名づけ(後世梅地となる)氏神を勧請して自ら神主となり、その社前で奉納したのが梅津神楽の濫觴(らんしょう)と伝えられております。 梅津神楽は、梅地のこだま石神社、犬間の若宮神社の祭典の前夜祭に...
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