斑鳩寺 その4|兵庫県太子町
鐘楼(兵庫県指定文化財)は、袴腰のついた標準的な大きさの建物ですが、おもしろい由来があります。斑鳩寺は、天文10年(1541)に全焼した後、時の龍野城主・赤松政秀とその子・広英らの援助を受け、復興をすすめていましたが、その途中で羽柴秀吉が播磨に侵攻してきました。龍野城主になっていた赤松広英は、戦ってもしかたがないと龍野城を秀吉に明け渡し蟄居していましたが、やがて秀吉軍の一員として働くようになり、頭角を現していきました。そして、天正13年(1585)、朝来郡の領主として竹田城に移りました。竹田城が今の姿になったのは、この広英の時代だといわれています。さて、竹田城主となった赤松広英は、父・政秀の代...
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